無題
ワニガメを捌いて食べたりするブログにはまってずっと読んでいた。
例えば道ばたのカラスウリとか、あれは食べられるもんなんだろうか?と日頃思ってるものをどんどん食べていくのだけど、単なるゲテモノ食いではなくてきちんと下処理してちゃんと「食材」としてリスペクトしながらそれに合った調理法を考えていて、良かった。
全然関係ない話なんだけど、私はある女性を観察してる。
趣味は人間観察です。とか言う寒い話ではなく、その人だけをチェックしてる。
自分ではストーカーとは思ってないのだけど、彼女は私を「ネトスト(ネットストーカー)」と呼んでる様子。ストーカーだと思う所がもう「自意識過剰だろ」と思う。
彼女が常にオープンに垂れ流してる情報を眺めているだけ。別に掘り起こしちゃいない。浅い所に無数に散らばってるんだもん。
最初は「なんだ、つまんないことしてんなぁ」くらいの気持ちで眺めていたのだけど、とにかく怒涛のごとく情報が溢れてくるのでついつい見ちゃう。
顔写真、裸の写真、売春の記録。
学歴の詐称、多方面に対する攻撃、死ぬ死ぬ詐欺。何かと言うと「死んでやるぅ〜」と騒いでざっくり切った手首の写メを載せる。それはもう見飽きた使い回しのもの。
本当に死にたいやつが切った手首の写メを人に見せる前提で撮るわけない。
構ってほしいだけ。死にたいわきゃない、強い生命力を通り越して生き意地の汚ささえ感じる。
この人、とことん生きたいんだな〜と、思う。
そんな棘で覆われたような性質の割にとても人との繋がりに執着しているのも、不思議。私の周りの人間嫌いはいつも1人でいる、1人で生きてるから。
多分、トイレに行くのも一人じゃ行けないタイプだろう。1人でご飯を食べたりするのを恥だと思ってるタイプ。
誰かにそばにいてもらえないとまともに声を発することも出来ないだろう。
自分は特別だ、希少な存在だ、というような事を良く言ってるけど、気が小さいから群れの中のモブにならないと生きていけない、パラドックスだ。
自分の中に耐え難い恥があって、それを隠すためにキャンキャン吠えてる。弱い犬ほどナントカ、というやつ。
「リア友」「彼氏」という言葉がとてもうすら寒い。ガキじゃあるまいし。
なーにを無理してんの、と思う。
男を引っ掛ける時だけ弱々しい振りをしてるのかもしれないけど、それも多分不完全で下手くそだろう。うまく出来ることなんて何一つないだろうな、この子。と思う。
もうそろそろ、その子を観察するのも飽きている。
多分、人間未満というのか。観察しても最近面白くもなくなってきてる。出汁を取ったあとの鰹節みたいにパサパサのカラカラ、なんの味もしない、猫も喜ばない、アレみたいなもん。
ストーカーの被害で警察に云々、と息巻いてるみたいだけど、どうぞご勝手に。と呆れてる。
ネイルだ外車だフランス女優だ、というようなことばっかり書いてるけど、そういう悪趣味なこともしている。ひまなときだけ。
サングラス
金曜日
ゾンビ映画、銃、ジム
さっきからブログの投稿を何度も失敗している。なかなか使い慣れない。
年度末が近づいていて少し忙しいけど、暇を見つけては映画を観たり、本を読んだりしている。
昨日は映画「アイアムアヒーロー」を観た。
原作が大好きなので実写化はがっかりするかも、と思い観るのを迷っていたんだけど、遂に世界レベルのゾンビスプラッターが日本でも出来たぞ!と言う評判を見てしまったのでついつい。
面白くて夜更かしして2回も観てしまった。
2回目は夫と一緒に観ながら、こういう映画を観ると銃の所持許可証とか取りたくなるよね〜と言い合った。
別にお皿や獣や人を撃ちたいわけではないけど、銃が好きなのだ。家にはエアコッキングガン、電動ガン、ガスガンをいくつかコレクションしていて、たまに磨いたり飾ったり眺めたりして満足している。
特に知識もなく、ただ家に置いて飾ってるだけでなんだか嬉しい、と言うだけのミーハーだ。
暴力の中に身を置きたいわけではないんだけど、「殴ったり蹴ったり出来たらいざと言う時に便利かもしれない」と言う理由で、数年前から格闘系のジムにも通っている。平和な生活をしているので、その「いざと言う時」はおそらく来ない。
だけど週に一度くらいジムに行き、殴ったり蹴ったり、殴られたり蹴られたりするのは楽しいしすっきりする。
大人になると人に叱られることって滅多にないので、トレーナーに「もっと目を使え」だの「足を使え」だのと怒鳴られるのも新鮮だし、楽しい。
今日は休みなので、昼寝がてらマッサージかエステを受けに行くか、ジムに行くかで迷い中。あまり予定を詰め込みすぎず、のんびり過ごそう。
砂漠の人
自分で言うのもなんだけど、私は親切な人間だと思う。
親切と言うかお節介と言うか、人に何か相談を持ちかけられたら、そこにある問題が解決するために協力するし、人を助けることは気持ちいいことだと思っている。
たまに、大して親しくないうちからシリアスな悩みを打ち明けてくる人がいる。
そういう人は大きな、1人ではどうしても解決出来ない問題を抱えていて、助けて欲しい、と言ってくる。
私は具体的な解決方法を足りない頭で考えて、人のつてなども頼って、具体的な解決に向けてのアイデアとプランを提案する。
だけど相談してきたその人は動かない。まず1歩目のコマを教えたのに、最初のコマに居座ったまま、また「助けて欲しい」「こんなに辛い」と言い続けてる。
愚痴を言って、それに同意して貰えたら、共感して「わかる、辛いんだね」と言葉をかけて貰えたら満足で、次は別の人の方を向いて、「私はこんなに辛い、どうにか助けて」と言っている。それを、何年も何年も、新しい人がやって来るたびに繰り返してる。
その人の後ろに山積みの問題はそのまま。
片付かなくても良いんだろう。むしろ、それを片付けてしまえば人の同情も関心も集められなくなるので、山積みと言うよりはきれいに並べて保管してる、と言った感じ。
ああ、こういう人なんだな、と思ったらさっさとその人から離れる。
もっとひどいタイプもいる。どれだけ構ってもらっても満足できず、人に尽くしてもらっても感謝できず、人の優しさを吸収しているだけで、自分自身は誰にも優しさを与えることができない人。
母親が赤ちゃんに与えるような、無限の無償の愛情を求めている。
もちろん母親は、自分の子供であって、しかも赤ちゃんは可愛いからいくらでも愛せるし見返りなんてなくたって平気なわけで。
血の繋がりもない他人の、可愛くもない大きな体の人間にそんな愛し方は普通はできない。
なんの見返りもないどころか、「もっと構って」「もっと愛して」「もっと大切にして、いいでしょ?」と迫ってくる。もっともっともっと、終わりがない。砂漠にティースプーンで水を撒いてるのと同じだ。
その人が愛に飢えてるのは、その人自身の問題で、人に教えられたところできっと解決しない。その問題を解く鍵は、その人しか持っていない。誰も助けられない。
優しくしたってキリがない。一緒に解決しようと協力しようとしても「でも」「だって」「どうせ私の辛さは分からない」などと言い訳、自己弁護ばかりで、とにかくどうしようもない。その人は無限の愛情のATMと奴隷が欲しいだけ。
(とはいえ、そういう人の悩みは意外と浅くて、「それ、お金さえあれば解決するんじゃないの?」くらいのものが多かったりするし、大金持ちの人と結婚でもすれば憑き物が落ちるのかもしれない)
人から貰いたがる、奪いたがるばかりで、自分は何も人に与えることができない人は、「ああ、砂漠だな」と思う。砂漠の人には近づかない方がいい。
小さな子が、母親の愛情をはかるためにポカポカと母親を殴りながら「ママのバカ!」なんて言う事がたまにある。「こんなひどいことをするけど、それでも愛してくれるだろうか?」という、子供なりのテストなんだと思う。
それを大の大人が、大人のスケールでやって来た日には。心も体もぼろ雑巾のようになるでしょう。
砂漠の人は、人との距離感がおかしくて、攻撃的。
砂漠そのものは美しいけど、砂漠の人はなるべく関わらず生きたい。
車が好き
好きと言っても詳しくはない。
今、自分が乗っている車が好き。
私は北欧の車に乗っている。輸入車と言うと高価なイメージ、ステイタスシンボルとして所有している人をイメージしてしまうけど、
わかりやすいメルセデスやBMWなんかと違って、輸入車の中ではそんなに高額でもなく、お手頃な部類だと思う。
この車の何が好きって、質実剛健なところ。
頑丈で、シンプルで、飾らなくて、とにかく無駄がない。
車内のインテリアなどは北欧のセンスを感じるけど、過剰ではない。
まあ燃費は良くはないけど、許容範囲。
寒い国の車だから、当然のようにパワフルなシートヒーターも付いている。私は寒がりなので、エンジンを始動してすぐに暖まるシートヒーターはとてもありがたいし一番気に入ってるところかも。
頑丈である故に、ドアは重い。スムーズにほとんど音も立てず軽く開けられる国産車と違い、「ガチッ」と大げさな音を立てながら、よいしょと力を入れて押し開けるしかない、その重ささえ不便ではあるけど気に入ってる。
無骨かと思いきや、ひとたびアクセルを踏めばハンドルは軽く、長時間運転してもちっとも疲れない。
地味で、目立たなくて、だけどスマートな見た目で、街乗りだって山道だってストレスを感じない。
意味もなく1人でドライブし、静かな山道に車を停めて、常時積んでいるブランケットにくるまり、暖かいコーヒーを飲みながら昼なら雲を、夜なら星空を眺める。
誰かを助手席にのせておしゃべりしながらドライブするのだってきっと楽しいだろうけど、1人だって楽しい。
しばらく乗り換えることはないと思う、真面目にメンテナンスして、大切に、長く乗りたい。
靴
靴が好きだ。
とはいえ高いヒールのパンプスは足が痛くなるから二足ほどしか持っていない。
細身のバレエシューズやフェミニンなオペラシューズ、三センチ〜七センチ程度のヒールのショートブーツやブーティなどをどんどん集めてしまう。
実用性を考えればドライビングシューズやスニーカーも持っていた方がいいんだけど、それぞれ一足ずつしか持っていない。一足きりのスニーカーはジム用だし、ドライビングシューズもなんだかんだ言ってほとんど履かない。
山に行くのが好きだからトレッキングシューズだって持っていた方がいいし、庭の手入れをするためにガーデンシューズだって必要だし、ゴミ出しなどちょっとその辺を歩くためのサンダルやスリッポンだってあった方がいいんだけど、持っていない。
どうせなら手入れして長く履けるもの、と思って選ぶから本革の靴ばかりで、靴箱を開けるとこれでもかと靴が並んでいるのに、雨の日には「履いていく靴がない」と焦ることが何度もある。
見た目が好きな靴ばかり、似たり寄ったりのものばかり買ってる。足はワンセットしかないのに無駄すぎるだろ、と靴を眺めながらいつも思う。
「メランコリア」でシャルロットゲンズブールが良く履いていたガーデンブーツ。わかりやすく言えばちょっとおしゃれに見える長靴、身もふたもなく言えば、ゴム長。
シャルロットゲンズブールが履いているからエレガントに見えるだけで、私が履けば魚市場の人になるかも知れないが、これだ、と思った。
雨の日も、踵に負担がかかる運転中もガンガン履ける、すぽっと簡単に履ける、安価だから(シャルロットが履いてるのは高いだろうけど)傷んでも手入れなんかせずにバンバン買い換えられる。何より見た目が悪くない。
もう一度言えば、私が履けば魚市場の人になるかもしれないが、シャルロットが履いている時は乗馬用のロングブーツのようだった。ダサくないのに実用性しかない。
街歩き用には無理があるけど、それ以外のあらゆるシーンに活用できる、これは一足、いや色違いで二足、買うべきでしょう。
シャルロットは黒を履いていたけど、黒だと魚市場確定だから私はネイビーとカーキにしようかな。グレーもいいな。
料理の合間、血眼になってネットショップでガーデンブーツを探している。
靴箱はパンパンで、クローゼットにも靴が侵食しているというのに。
靴だけはなかなか断捨離できない。