砂漠の人

自分で言うのもなんだけど、私は親切な人間だと思う。

親切と言うかお節介と言うか、人に何か相談を持ちかけられたら、そこにある問題が解決するために協力するし、人を助けることは気持ちいいことだと思っている。


たまに、大して親しくないうちからシリアスな悩みを打ち明けてくる人がいる。

そういう人は大きな、1人ではどうしても解決出来ない問題を抱えていて、助けて欲しい、と言ってくる。


私は具体的な解決方法を足りない頭で考えて、人のつてなども頼って、具体的な解決に向けてのアイデアとプランを提案する。

だけど相談してきたその人は動かない。まず1歩目のコマを教えたのに、最初のコマに居座ったまま、また「助けて欲しい」「こんなに辛い」と言い続けてる。


愚痴を言って、それに同意して貰えたら、共感して「わかる、辛いんだね」と言葉をかけて貰えたら満足で、次は別の人の方を向いて、「私はこんなに辛い、どうにか助けて」と言っている。それを、何年も何年も、新しい人がやって来るたびに繰り返してる。


その人の後ろに山積みの問題はそのまま。

片付かなくても良いんだろう。むしろ、それを片付けてしまえば人の同情も関心も集められなくなるので、山積みと言うよりはきれいに並べて保管してる、と言った感じ。


ああ、こういう人なんだな、と思ったらさっさとその人から離れる。


もっとひどいタイプもいる。どれだけ構ってもらっても満足できず、人に尽くしてもらっても感謝できず、人の優しさを吸収しているだけで、自分自身は誰にも優しさを与えることができない人。


母親が赤ちゃんに与えるような、無限の無償の愛情を求めている。

もちろん母親は、自分の子供であって、しかも赤ちゃんは可愛いからいくらでも愛せるし見返りなんてなくたって平気なわけで。


血の繋がりもない他人の、可愛くもない大きな体の人間にそんな愛し方は普通はできない。

なんの見返りもないどころか、「もっと構って」「もっと愛して」「もっと大切にして、いいでしょ?」と迫ってくる。もっともっともっと、終わりがない。砂漠にティースプーンで水を撒いてるのと同じだ。


その人が愛に飢えてるのは、その人自身の問題で、人に教えられたところできっと解決しない。その問題を解く鍵は、その人しか持っていない。誰も助けられない。


優しくしたってキリがない。一緒に解決しようと協力しようとしても「でも」「だって」「どうせ私の辛さは分からない」などと言い訳、自己弁護ばかりで、とにかくどうしようもない。その人は無限の愛情のATMと奴隷が欲しいだけ。


(とはいえ、そういう人の悩みは意外と浅くて、「それ、お金さえあれば解決するんじゃないの?」くらいのものが多かったりするし、大金持ちの人と結婚でもすれば憑き物が落ちるのかもしれない)


人から貰いたがる、奪いたがるばかりで、自分は何も人に与えることができない人は、「ああ、砂漠だな」と思う。砂漠の人には近づかない方がいい。


小さな子が、母親の愛情をはかるためにポカポカと母親を殴りながら「ママのバカ!」なんて言う事がたまにある。「こんなひどいことをするけど、それでも愛してくれるだろうか?」という、子供なりのテストなんだと思う。


それを大の大人が、大人のスケールでやって来た日には。心も体もぼろ雑巾のようになるでしょう。

砂漠の人は、人との距離感がおかしくて、攻撃的。


砂漠そのものは美しいけど、砂漠の人はなるべく関わらず生きたい。